放虫の是非について 〜比較優位の原理〜



【比較優位の原理】

総じて人間社会は「多数決の原理」に従ってその社会活動を営んでいる。

100人いる国会議員の49人が首相に「菅直人」を指名しても、残る51人が「小渕恵三」を指名すれば首相は後者となる。
意見の100:0を待てば現代社会は完全に停滞する。

我が国で「炭坑夫の生活を守る」ために「石油の輸入を禁止せよ」と言うことができないのは、前者に比べ「石油の輸入」がはるかに 我が国全体に利益をもたらすからだ。

「万一の場合、多数の人命を奪う」原発に対して反対運動が起こっても、「確実に年間1万人の命を奪う」自動車に対して廃絶を唱える人は少ない。
現代社会における自動車の恩恵は、1万人の生命の尊さより重いと判断する現代人の「比較優位の原理」である。

ところで、くわがた界では「放虫個体でも採れる喜び」という立場と「放虫で生じる亜種混沌化による愛好者・研究者の悲嘆」という立場 のいずれが優位か、現在のところ確定しがたい。

今後、いずれの意見が多数を占めるかにより「放虫」の是非の判断が下されるものと考える。

注:
ここでいう「比較優位の原理」とは、いわゆる経済学でいう「比較優位」のそれとは異なるが、他に適当な名称が浮かばないため暫定使用する ものである。




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